2025年8月27日水曜日

入党して30年

 



岩渕 友 参議院議員

「国会かけある記」


入党して7月で30年。永年党員証の授与式があり、党本部で受け取りました。50年党員の方も一緒で、なんと紙智子さん、元衆院議員の畑野きみえさんも参加されていました。

 入党した1995年は、大学受験真っただ中の1月、阪神・淡路大震災が発生。福島県からも多くの方がボランティアに向かいました。阪神・淡路大震災経験はその後の災害、そして東日本大震災にもいかされました。

 沖縄で起きた米兵による少女暴行事件に抗議する県民大会が行われました年でもあります。その後も米兵による暴行事件が止まないもとで怒りの声は広がり、オール沖縄につながっていきました。新たなたたかいが大きなうねりになる転換の時期だったのだと思います。

 入党後、学生として、地域の一員として、党の専従として、いろいろな場所で活動をしてきました。どこでもその場所で力を尽くす党員のみなさんの姿に触れてきました。「日本共産党の一員でよかった」と思う場面が何度もありました。

 強烈に実感したのが東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の救援活動でした。被災者救援本部が設置され、全国から「自分も何かしたい」と多くの方が駆けつけ、被災された方々の話をきいて、寄せられた要望を実現させるために力を尽くす。こんな党はほかにありません。

 激動の情勢のもと、くらし、人権、平和を守る正念場のとき。これからもみなさんと力を合わせて、一歩一歩進んでいきたいと思います。


2025年8月20日水曜日

平和な日本と世界の実現に力を合わせよう

 



宮内 しおり 党道平和運動部長

「国会かけある記」


参議院選挙でご支援いただいたみなさんに感謝申し上げます。全道どこでもあたたかい言葉をかけてもらい最後まで元気にたたかうことが出来ました。

 北海道選挙区は残念ながら議席には届かず、比例代表ではたやま和也さんを国会に送ることが出来ず、悔しく残念です。選挙の取り組みから教訓を引き出し、次のたたかいに向けて質量ともに大きな日本共産党をつくるために私も頑張ります。

 参議院でも自公の議席が過半数を割ったことは、自公政治を終わりにしたい、消費税減税など物価高の暮らしを良くしたいという民意の現われです。公約実現のために引き続き力を合わせます。

 戦後・被爆80年の今年は8月7日にオンラインで「被爆80年長崎のつどい」に参加しました。被団協の田中煕巳(てるみ)さんをはじめとした被爆者が被爆の実相、反核平和運動の歴史などをお話してくれました。谷口稜曄(すみてる)さん、渡辺千恵子さんなど亡くなられた被爆者のスピーチ映像を見られたことも貴重でした。

 9日には5年ぶりに矢臼別平和盆踊りに参加し、はたやまさんとご挨拶させていただきました。日米共同軍事演習や米海兵隊移転訓練が毎年行われる矢臼別で、日本と世界の平和・核兵器廃絶を願い開催される平和盆踊り、粘り強い基地監視活動に取り組むみなさんに連帯します。アメリカ言いなりの政治をおおもとから変えて軍拡ではなく外交努力する日本に、1日でも早く日本が核兵器禁止条約を批准するために力を合わせる決意です。

 


2025年8月6日水曜日

みなさんの支えで駆け抜けた24年間

 

紙 智子 参議院議員

「国会かけある記」


参議院議員の任期が7月28日で終わりました。「かけある記」を書くのも今回が最後です。読者、編集に携わったみなさんに感謝いたします。

私は、2001年の参議院選挙で初めて国会に送っていただきました。「いのち・食と農」を原点に4期24年間、農林水産委員会や沖縄・北方特別委員会、東日本大震災・福島第一原発事故後は、東日本大震災復興特別委員会などに所属して活動してきました。

24年間元気に駆け歩き、走り続けられたのは、みなさんの支えがあればこそと胸に刻んでいます。

「かけある記」は、その時々の国政や活動の中での発見と驚き、いのちの大切さ、怒りや喜び・希望など、心に響いたことをスケッチしてきました。最初の6年間は、無我夢中であっという間でした。

24年間、自民党の社会保障の改悪、戦争する国づくり、農業・農村つぶしの悪政と対決してきました。

全国の農山漁村を訪ね、“自民党にはもう任せられない”と未来像を描き、開拓精神を発揮して切り開く生産者らの姿に学ぶとともに、現場の要求を政府にぶつけて闘ってきました。

大震災・原発事故の被災地を訪ね、被災者支援、原発ゼロを政府に迫ってきました。

千島=領土問題と根室・隣接地域の振興、アイヌ民族の先住権回復などの課題に取り組んできました。

当面、日本共産党本部で農林漁業、国民運動委員会で仕事を続けます。

希望ある未来をつくるために、これからもみなさんとともに歩んでいきたい。