紙 智子 参議院議員
「国会かけある記」
参院復興特別委員会の派遣で宮城県の亘理町と山元町のいちご団地をたずねました。
9年前の震災直後に訪問したことがよみがえります。津波で惨憺たる状況、農家は避難生活を余儀なくされました。農協では、「若い担い手が増え、これからというときだった。一個食べたら、もう一個食べたくなるいちごを目指し‶もういっこ″とネーミングした。希望をもって営農できるよう再開したい」と訴えられました。
津波でガチガチに固まった土砂を取り除くのに時間がかかります。地面から高く上げた水耕栽培を支援できないかと質問しました。翌年、可能になったと農水省からの知らせがきました。前に一歩すすみました。
あれから9年経ったいちご団地のいまの姿を聞きました。山元町のいちご栽培を手掛けるIさんは、ITの仕事をやめて故郷に戻り、幼なじみのHさん、イチゴづくり40年の農家のHさんと法人を立ち上げいちご栽培に取り組んでいます。
亘理町のイチゴ農家のMさんは、震災後に北海道伊達市に移住し、北海道の気候に合ういちご「すずあかね」の栽培に成功したと言うことです。困難な時に温かく受け入れてくれた地域の皆さんに支えられた。その恩返しに後進の指導に当たった、と。いまは両親のいる故郷、亘理に戻って頑張る決意をしたことを知りました。やり方は違うけれど、困難を乗り越える努力に学ばされます。災害で被災した方々が、前に向かえるように役だちたいと思います。
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