2024年8月28日水曜日

政治を変えましょう

 

紙 智子 参議院議員

「国会かけある記」


岸田文雄首相が国民に追い詰められての〝政権投げ出し〟を表明し、秒読みとなった総選挙に向かう情勢のなかで、標津町、根室市、中標津町、別海町を回りました。

 はたやま和也衆議院比例予定候補と参加した根室市と別海町の党を語るつどいでは、「はたやまさんを必ず国会議員に」と決意を固め合いました。

 根室管内は、日ロの領土交渉が滞っている中で、根室市では思うように船を出せないうえ、温暖化による海水温の上昇で昆布も不漁が続いています。かろうじて民間交渉が続きてきた貝殻島の長昆布の漁獲量も半分以下に激減。前浜の昆布は等級が下がっています。不漁対策とともに、当面の収入支援が必要です。

 根室市水産研究所、中標津町の道総研のさけます・内水面試験場では、「つくり育てる漁業」について聞きました。

 千島歯舞居住者連盟の元島民の方々らと懇談しました。平均年齢が88・5歳となり、「せめて墓参は洋上ではなく、ふるさとの土を踏みたい」という訴え、島で生活した経験がない世代にとって父母や祖父母の時代からの運動をどう引き継ぐのかも課題です。何ができるか、みなさんに寄り添って考えたい。

 危機が続く酪農の現状をJA道東あさひの浦山宏一組合長から聞き、マイペース酪農の交流会にも参加。

 矢臼別演習場の川瀬牧場では日米軍事訓練の様子とともに、来年、矢臼別平和盆踊りが60回を迎えると聞き運動の大事さを実感しました。どれも重要なテーマ。政治を変えましょう!!


2024年8月24日土曜日

裏金に反省ない政治変える

 


 岩渕 友 参議院議員

「国民の願いを胸に」

議院運営委員会の派遣でチェコとスペインを視察してきました。メインは議会との交流です。印象的だったことの一つは、ウクライナからチェコに避難している子どもたちと話したことです。ロシアによる侵略を受け、どんな思いで避難してきたのか、言葉も分からない異国の地で通学し、仕事をすることがどれだけ困難か、地元の人々との摩擦など思い出したくないようなつらい思いや複雑な思いを話してくれました。静かに暮らしたいという思いとは裏腹に、ウクライナへの軍事的な支援は強まり危機感が高まっています。

日本はEUの国々との共同訓練などを強化しています。戦争させないための外交努力こそ重要だという思いを強くしています。

そしてもう一つ、国会における女性議員の割合が話題になりました。チェコでは女性議員を増やす妨げとなっていることの一つに小選挙区制があるという発言に納得。国民の声、多様な声が反映する選挙制度への改革も進めなくてはなりません。

視察中、岸田首相が総裁選に出馬しないと表明し、自民党議員には毎日何本も電話が入っているようでした。日本に戻るとテレビは総裁選一色。そこには裏金事件をはじめとする悪政への反省はなく、批判もありません。自民党政治そのものを変えなければ政治を変えることはできません。自民党政治を終わりにして新しい政治を切り開く。みなさんと力を合わせていきたいと思います。

2024年8月21日水曜日

原発ゼロの決断を

 



岩渕 友 参議院議員

「国会かけある記」


東京電力が柏崎刈羽原発にある使用済み核燃料を保管するとしている青森県むつ市の中間貯蔵施設をめぐって、9月までに事業が開始されようとしています。7月に行われた政府交渉では、むつ市を含む周辺の自治体だけでなく、距離が近い函館市でも説明会を開催すべきだと求めました。当然のことです。

 この問題をめぐって先日、青森県内で活動するみなさんと原子力規制庁からのヒアリングを行いました。中間貯蔵というけれど最終処分地への搬出の見通しがないことや、使用済み核燃料を輸送、貯蔵する容器であるキャスク(使用済燃料の輸送や貯蔵に使われる専用容器)の製造業者がデータ改ざんなどの不正を行っており安全性があるとはいえないこと、「キャスクの耐用年数は60年というけれどその根拠はどうなっているのか」など、不安の声が次々出されました。しかし規制庁の回答はこれらの不安にこたえるものではありませんでした。

  現時点で判明している原発向け不正の多くは、フランス向けの製品で、伊方原発でも1件あり使用をやめています。フランスは調査を行っていますが、日本の対応はあまりに不十分です。キャスクの輸送承認は出ているからむつ市へ運ぶといい、そこで使用の安全性が確認できなければ戻すともいいます。この対応に疑問の声があがりました。

 これらの矛盾の大もとは再稼働ありきの姿勢です。原発ゼロの決断を。みなさんと声をあげ、引き続き国会で追及していきます。

2024年8月10日土曜日

「千島」追及7年前の続きを

 

畠山 和也 元衆議院議員

「国民の願いを胸に」


広島・長崎への原爆投下、そして15日の終戦の日と続く8月。私も集会・宣伝や追悼式、平和盆おどりへと駆けまわりました。核廃絶と被爆者機護、反戦・平和を貫く日本へと、くり返し訴えていきたい。

北海道は815日以降も旧ソ連軍の攻撃を受けました。18日に占守島への上陸・地上戦があり、95

には歯舞群島まで占拠が及びました。留萌沖では樺太から引き揚げる途中だった3船が潜水艦の攻撃を受け、1708人(推定)が犠牲となりました。

占拠された島では強制送環の命令が出され、ぎゅうぎゅう詰めの船が向かったのは樺太。極度の不衛生や食料不足で亡くなる方が相次ぎました。家や財産、故郷を奪われた元島民の平均年齢は88歳を超えています。基幹産業の漁業では領海が狭められ拿捕(だほ)や銃殺が起き、地域経済への打撃は今も続いています。

先月おこなった政府交渉で、農水省には漁業者や水産加工業者への支援、外務省には元島民の墓参再開や財産権保障などを求めました。直前に発覚したルーマニア公使が観光目的で国後島等を訪問したことに、日本の領土である歴史的根拠をくり返し発言すべきだとの私の訴えには、「おっしゃる通りです」と応じざるを得ませんでした。

千島問題で安倍首相(当時)を追及したのは7年前。日本の主権、戦争と平和、元島民の願いを訴える議席を回復し、7年前の続きをしなければとの思いを強くする8月です。