2015年2月26日木曜日

誰のため、何のための「農協改革」か



 紙 智子 参院議員
  「国会かけある記」

 安倍総理が施政方針演説の冒頭にかかげた「農協改革」。
誰のため、何のための改革か?「農協解体」や、TPP問題
など、安倍政権の暴走に対して、十勝で「食と農の集い」が、
長野市で「日本と長野の農業を考えるシンポジウム」が開か
れました。
 十勝の「集い」は今回で20回目です。今後の農政がどう
なっていくのか、TPPはどうなるのか、管内四つの町の町長
さんや役場職員の方々をはじめ、安倍政権の暴走政治に
危機感を持った関係者等330名で会場はいっぱいになりました。
太田原高昭北海道大学名誉教授は、日本農業が国際的に
見ても、水準の高い生産、経営をして食料生産を行ってきた事、それを支えている
農業協同組合の役割を明らかにしました。
 長野市で行われたシンポジウムでは、長野市農業委員会の小山英壽会長、
滝澤勝巳JAグリーン長野常務理事、和田明子長野県議、原田誠之長野市議の四人
がパネリストとして参加。私の安倍政権・「農協改革」の報告の後、パネリストからの
発言を受け、討論が行われました。
 長野市は半分以上が中山間地で、少量多品目の野菜や果樹栽培を主力に努力
してきただけに、家族経営の解体をも狙う「農協改革」への批判が出されました。
 国会でも七団体共同で主催する「政府の『農協つぶし』許さない!」の緊急集会が
開かれました。
国民的なたたかいと連携し、国会論戦でもしっかりたたかっていく決意です。

2015年2月20日金曜日

国民の願いを胸に



紙 智子 参院議員
 「これからも被災者とともに」

 東日本第震災から4年目の冬を迎えた福島県へ、初当選の
藤野保史衆議院議員と行きました。
私は県議のみなさんと、福島県漁連、いわき市漁協を訪ね
ました。
 原発事故による放射能汚染で今も漁に出ることができず、試験
操業で時々水揚げし検査しています。
対象魚種は増え、「スケソウタラの他にアワビ、青のりもとれる
ようになった」と、うれしそうに語りました。
 しかし、汚染水流出問題のたびに不安が再燃。
原発事故以降、漁業者は汚染水の海への放出・露出を行わないように
再三求めてきたのに、原子力規制委員会が海洋放出などを前提とした
方針を示したことへの怒りが次々と出されました。
 JA福島中央会とJAふたばを訪ねました。
「賠償請求額は4年たっても依然減少していない。これは商業者だけの問題ではない。
復興に全力を挙げている中での賠償打ち切りだ」と強い怒りが出されました。
 安倍総理は、昨年の総選挙の第一声を被災地で行ったけれども原発事故の問題に
ついては何も語りませんでした。
「福島の復興なくして日本の再生なし」と言いながら、被災地の願いに耳を傾けず、
損害賠償を打ち切ろうとする安倍政権に、怒りがわいてきます。
 被災地の皆さんと力を合わせて、加害者である国と東電に責任を果たさせるために、
これからも、力を尽くして頑張る決意です。
                    (しんぶん赤旗 2015.2.20掲載)

地に足をつけて



 畠山和也 衆院議員
  「国会かけある記」

  衆議院議員になってちょうど二カ月。多くのことを学ぶ
とともに、反省もあります。
 道内での党のさらなる躍進へ私自身が「先頭に立って
頑張らなければ」という思いを、決意表明などで「畠山の
時代」と述べたことから、「驕(おご)りがあるので
はないか」などの指摘がありました。誠実に受けとめ、
誤解を招いた言葉は取消し、お詫びします。
 多くの方々の願いが込められた貴重な議席の重みと、これまでの
歴史や運動の積み重ねがあってこその現在であることを、しっかり
自分の中に根づかせていきたいと思います。
 国会ではようやく施政方針演説がおこなわれました。首相は「日本は自信を取り戻し
つつある」と国民の苦しみなどわかっていない演説でした。
間もなく質問の順番も私にまわってきます。
 介護報酬引き下げ反対集会(札幌)では、「こんなに下げられたらバタバタつぶれて
いく」と怒りの声。「結局は利用者さんにしわ寄せが行く。絶対にやめて」という若い
職員さんのみずみずしい発言が心に残りました。
 千葉県から旭川・空知地方へ回り、農家からも現状を伺いました。
「若い人が意欲を持って帰ってきたのに米価下落。これでは続けられない」「しわ寄せ
が弱い立場の我々に来ている」と、ここでも怒りの声。このような現実を無視する安倍
政権を、正面からただしていきたい。
 地に足をつけて怒りの声を代弁しながら「国民が主人公」の日本こそ進むべき道
だと訴えてがんばります。

2015年2月12日木曜日

夫婦円満



 大門実紀史 参院議員
  「国会かけある記」

  先日、宮城県石巻市で開かれた日本共産党の新春の
つどいに参加しました。
石巻は畠山和也さんの出身地。つどいには畠山さんの
ご両親が来ておられました。司会者から「北海道ブロック
から当選した畠山衆議院議員のご両親です!」と
紹介があり、参加者から大きな拍手がおこりました。
ふるさとはありがたいものだとおもいました。
「いつ凱旋(パレード)に来るんだ」と私に聞く人がいたので、
「街宣なら来るかも」と言っておきました。
  畠山さんのご両親には何度かお会いしていますが、お父さんもお母さんも腰の低い誠実な方です。
つどいではお父さんから初めて和也さんの子どものころの話を聞きました。
「店をやっていたので、あまり面倒をみてやれませんでした。いつも一人で
おとなしく本を読んでいる手のかからない子どもでした」とおっしゃいました。
私も小さい頃はいつも本を読んでいる子どもでしたが、末っ子でわがまま放題に育て
られたせいか、生まれつき品性に問題があったのか、畠山さんのような素直な人間には
なれませんでした。
 つどいが終わり外に出ると、畠山さんのご両親が車に乗って走り出すところでした。
お二人いっしょに笑顔で手をふられました。喧嘩ばかりしてとうとう離婚してしまった
私の両親とは大違い。
いくつになっても仲がいい素敵なご夫婦です。そうか、夫婦円満であることが子どもの
成長にとって一番大事なことなのだ、お二人を見送りながらそう思いました。

2015年2月7日土曜日

国民の願いを胸に



大門実紀史 参院議員
  「ヤジは好きではないけれど」

 ヤジは議場の花といわれますが、私はあまりヤジが好き
ではありません。
立場は違っても主張は黙って聞いてあげればいいと思う
からです。
 ところが3日の参議院予算委員会では暴言とヤジの連鎖
が続きました。
わが党の小池晃議院が過激組織「イスラム国」による日本
人殺害事件について安倍首相の対応をただしたとき、
首相が「小池さんの質問はまるでイスラム国を批判してはならない
ような印象を受ける。
それはテロに屈することだ」と暴言を吐きました。
 野党の抗議で一時審議がストップ。つめられるとすぐ逆ギレする安倍首相の偏狭
さとおごりを示す一場面でした。
 その暴言のあと、さらに閣僚席のうしろに座っている大臣秘書官の一人が小池さん
の質問にヤジをとばしました。
事務方がヤジをとばすなど前代未聞の出来事。
安倍首相のおごりが事務方にも伝染したのでしょうか(この件については散会後の
理事会で与党側が深く陳謝)
 小池さんの質問のあと、今度は宮城県出身の次世代の党の議員が自分の質問の
中で「憲法9条があるから平和が守られているという人がいるが、私は憲法9条が
国民の命を危険にさらしていると考える」などととんでもない発言をしました。
野党席から「なにいってんだ」とヤジがとび、気がついたら私も「なぜそうなのか、
説明してみろ!」とヤジっていました。
                       (しんぶん赤旗 2015.2.6掲載)

2015年2月6日金曜日

輝く先人たちの歴史



紙 智子参院議院
  「国会かけある記」

 2月1日、苫小牧市で、「大正デモクラシーと小林多喜二の
文学世界」と題する篠原昌彦苫小牧駒沢大学教授の最終講義が
行われました。明治から大正、昭和へ。
文学が描く内容も時代背景を反映するものになりますが、
有島武郎から小林多喜二へ、篠原教授が研究を重ねられた
小林多喜二の作品とそこにこめられたメッセージを、情熱を
こめて語られました。
 昨年夏に、この最終講義の際に、私の夫、内山勝人と多喜二の
母との交流について語ってほしいとの依頼をうけており、私も
お話させていただきました。
2月20日は、プロレタリア文学作家であり日本共産党の先輩でもある小林多喜二の
命日です。
天皇制のもと治安維持法による弾圧によって、わずか二九歳で生涯を閉ざされた
小林多喜二。その「母」のことは、作家、三浦綾子さんの「母」に描かれ、前進座の
舞台でも演じられてきました。    
 「母」セキさんに、会いに行き、交流があったことを、私は驚きと感動をもって、
夫から聞いていました。
多喜二がペンにかけた思い、わが子を思う母親の気持ち。その尊い命のバトンを、
今も私たちは引き継いでいます。
 侵略戦争に反対し、命を尊び、人々を貧困から解放し、誰もが幸せに生きることの
できる世の中をめざして、果敢に立ち向かった先人たちの歴史は、戦後70年、
憲法9条を持つ日本だからこそ、いっそう輝きをましていると感じました。