畠山和也 衆院議員
「国会かけある記」
「 さっちゃん 」こと渡邊佐知子さんが、矢臼別に住み始め
たのが2004年。川瀬氾二さんが亡くなられた後は、二頭
の牛と犬と亀と暮らしながら矢臼別平和委員会の活動も
されてきました。ご本人の意思でまわりに病状が知らされ
ぬまま、6月25日に逝去。53歳でした。
優しい笑顔を通して、揺るがぬ芯の強さが見える佐知子
さんでした。先週6日に開かれた第52回矢臼別平和盆踊り。
掲げられた遺影に「 これからも矢臼別が変わらないように
がんばりますから」と最後のあいさつをしてきました。
私が矢臼別平和盆踊りへ初めて参加したのは1998年、
合唱団の一員としてでした。当事は川瀬さんもお元気でした。
川瀬さん・佐知子さんと矢臼別に住む方は変わりましたが、参加者みんなの平和への
思いと憲法9条は変わらない。佐知子さんを悼みつつ、いつもと変わらず盛り上がる
盆踊りに参加しながら、そう強く感じました。
昼に道労連の総会を終えて、急いで車で駆けつけた青年たちがいました。ある青年が
喜びながら「 学校で教えてもらった先生と、さっき会えたんですよ 」と教えてくれました。
こうやって平和のバトンが引き継がれているんですね。きっと川瀬さんも佐知子さん
も、喜んでくれていることでしょう。
戦争法の発動と改憲へ突き進む安倍政権に、正面対決の秋が迫ってきています。
変わらぬ矢臼別の風景と、平和に生きる権利を守るために力を尽くします。