畠山 和也 元衆議院議員
「かけある記」
震度7を記録した胆振東部地震から、六日で五年を迎えました。被害の大きかった厚真町での追悼式に、紙智子参議院議員・立野ひろし道九区予定候補と参加しました。
犠牲となった一人一人の名前が刻まれた慰霊碑を前に、当時のことが頭をよぎりました。道路に入った大きな亀裂、大きく傾いて倒壊寸前の住宅、そして何ヵ所あるのか想像できないほどの山腹崩落。避難所で要望を聞いてまわったときに「おかげさまで見つけていただきました」との、ご遺族の話には言葉を失いました。
日本共産党の地方議員が、どの自治体でも住民に寄り添い、聞いた声を一つでも実現しようと奮闘しました。追悼式後に災害公営住宅を訪れると、「伊藤さんみたいな人こそ『住民に寄り添う』と、言うんだよ」と、伊藤富志夫町議への感謝の言葉。災害公営住宅は雨漏りが続き、この問題でも伊藤町議が懸命に取り組んでいる話を聞きました。
先日、あるつどいの場で「党名を変えてはどうか」と聞かれました。しかし、くりかえし困っている現場をまわり、それを地方議会・国会へ届けてきたのが日本共産党です。震災で液状化被害の大きかった札幌市清田区では、日本共産党の腕章を見て被災者が安心して家のドアを開けてくれたと言います。「これほど党名が誇らしく思えたことはなかった」と、党員の話に私も胸を熱くしました。
「苦難あるところ日本共産党あり」。この原点に立ち返ろうと、あらためて厚真町で決意しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿