2024年7月31日水曜日

迅速に支援策を

 

紙 智子 参議院議員

「国会かけある記」


梅雨前線の影響で日本海側を中心に東北・北海道に大雨被害がもたらされました。被災された皆さんのお見舞い申し上げます。

 北海道でも2324日にかけて観測史上を上回る降雨量で被害が発生しました。26日に一級河川の雨竜川の氾濫被害が発生した深川市の多度志など訪ねました。田中昌幸深川市長自ら現場まで案内し、被害状況を説明して下さいました。

 「昨年8月にも農業被害が出た。今回は水稲の出穂が終わっているので、このあと好天が続けば、持ち直すかもしれないが、そばは難しいだろう」と言われますJA[。利水ダムの嵩上げを行って湛水量(ためられる量)を増やすとか、河川の樹木の伐採や浅くなった川底を堀削し、流れやすくするなどの対策が必要で、そのためにも予算の確保など要望されました。JAきたそらちでも、岩田清正組合長から実情とともに、河川の水深を深くするための浚渫(しゅんせつ)などへの協力を要請されました。

 27日には秋田県の由利本荘市、湯沢市、大仙市でつどいがありましたが、雄物川の氾濫で被害が出ており、つどいの合間を縫って被害調査をおこないました。河川の堤防が決壊し農地に土砂が入り込んでいます。

 盛土の工事をしていた業者さんは、「上流から4カ所で決壊している。このあと、また雨が降る前に仕上げたいが、人手が足りない」と、現状を話していました。

 異常気象なのか、いつどこで起きるか、わからない災害、できるだけ迅速に支援策がとれるよう取り組みたい。


2024年7月24日水曜日

岸田政権は原発の推進と延命やめよ

 



岩渕 友 参議院議員

「国会かけある記」


暑い日が続き、「気候危機」の深刻さを日々実感しています。

 7月13日、岩内町で行われた党小樽地区委員会主催の「原発・核ごみ問題シンポジウム」で、岸田政権の原発回帰政策と核ごみ問題について話をする機会をいただきました。

 岸田政権は脱炭素電源だとして原発の推進と延命に躍起になっていますが、東京電力福島第一原発事故の被害実態と、核のごみの最終処分場所も決まっていないことからも原発を推進していることは、無責任だという思いを強くしています。

 パネリストのお一人である「核のゴミのない寿都を!町民の会」共同代表の三木信香さんからは、表には出ないけれど今も続く町民の分断があるというお話や、寿都の自然を次の世代に残したいという思いを聞き、胸に刺さりました。

 町や村を二分するような問題を自治体任せにせず、国が責任をもって決めるべきことではないのか。しかもこの問題は、町や村、北海道だけの問題ではなく、日本全体の問題です。10万年という途方もない時間がかかる、将来の問題でもあります。だからこそ、国民的な十分な議論が必要なのです。

 国がやるべきは、漁業や農業など、その自治体の魅力を生かした地域振興にこそ予算を使い、力を尽くすことなのではないでしょうか。どんな立場の方でも納得できるエネルギー政策、地域づくりが必要だという思いを強くしました。


2024年7月20日土曜日

農政の役割を実感

  


 紙 智子 参議院議員

「国民の願いを胸に」


 

6月には北海道の旭川・上川地域、徳島県阿波市、福島県郡山市と二本松市で、7月は兵庫県の東幡地域で農業シンポやつどいが開催されました。改定された「食料・農業・農村基本法」で農業で生活できるのか、高齢化・担い手不足が打開できるのか、共産党の考え方を聞いてみたいと、期待を持って多くのみなさんが参加してくださいました。私は、農家に自己責任を迫る新自由主義的な農政から人と環境にやさしい農政への転換を語りました。

「政治をどうするかにかかっているとわかった」「少規模農家も含め多様な担い手育成が地域にとっても大切」などの感想や「生産者のみなさんの米価が低すぎる」「減農薬や有機栽培を進め、学校給食に取り入れるため支援を」など課題や要望が出されました。

強く印象に残ったのは、新規に就農し野菜づくりに挑戦している若いご夫婦。「憧れていた有機農業に挑戦して野菜作りをやった。手をかけた作物が育ち収穫できた時の幸せを強く感じました」と語ってくれたこと。そして「ここに至るまで地域の支え、新たなつながりができたことも宝だ」との言葉です。あらためて農業の魅力の原点を感じるとともに、若い人の発言も目立ちました。

農業は、一年一年、天候に左右され、やるたびに条件が違うので、収穫するまで気を抜けません。農政の役割は、その努力を全力で応援することであって、切り捨てることではないとあらためて感じました。


2024年7月17日水曜日

真に自由な社会へ

 

畠山 和也 元衆議院議員

「かけある記」


日本共産党は15日に、創立102年を迎えました。私が入党した1991年は、中国の天安門事件や東欧・ソ連の崩壊などが続いた激動の時代。「共産主義とは何か」を、学生同士で学び議論していたことを思い出します。

 当時から言われ続けてきたのが「共産主義には自由がない」。しかし、今の日本こそ生きづらく息苦しいし、長時間労働などで人間らしい生き方が奪われています。「人間の自由」が花開く社会こそ、日本共産党がめざすものだと堂々と広げていきたい。

 「私が道生連に入った1975年当時、女性の障害者に『妊娠してはいけない』と福祉事務所が平気で言っていた時代でした」。来賓として私が参加した、北海道生活と健康を守る会の定期大会での三浦誠一会長のあいさつです。

 最高裁で旧優生保護法が憲法違反と判決が出されたことに触れ、当事者が声を上げて勝ち取った「本当にうれしい成果」と強調し、「障害者・女性・生活保護受給者に、今も蔑視や差別があります。当事者が胸を張って生きられるような運動をしていきましょう」との呼びかけに、私もうなづきました。

 日本共産党は同法の成立や改定に賛成し、それが「重大な誤り」だったと総括・謝罪のうえで、被害者ら全員への賠償や差別解消を政府に求めています。真に自由な社会へ、私もいっしょに声にしていきます。

2024年7月13日土曜日

核廃絶への思い広げる

 


 岩渕 友 参議院議員

「国民の願いを胸に」

11日、「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」の共同提出が行われ、全国から寄せられた147918人分の署名が外務省に手渡されました。累計は1565317人分にものぼります。

ちょうど先週、北海道ノーモア・ヒバクシャ会館にうかがったばかり。この会館は民間で初の原爆資料館で、被爆者の方々が集う場であり、被爆の実相を伝え、次の世代につないでいく拠点となっています。市民の方々がつくり支えてきました。北海道被団協が会員の方々の高齢化に伴って来年解散することになりましたが、活動は統けていくとのこと。会館は北星学園が譲渡を受け入れ、続けていくことになりました。

その時にお会いした被爆者の方から、東日本大震災と福島第1原発事故の後、自分が被爆者であると名乗りをあげたと聴いて驚きました。その思いや、被爆体験についてもうかがうことができました。核兵器廃絶の運動が、原発事故の被害者にも心を寄せ、連帯して運動を進めていることに励まされてきました。原発ゼロへの思いも大いに広げていきたいと思います。

核兵器禁止条約が採択された時の喜びと感動、そしてなぜ日本政府がいないのかという怒りが改めて思い出されます。あれから7年がたち、条約に参加する国が増え続け、ロシアが核兵器で世界を脅すなど緊迫した状況のもと、日本政府が条約に参加し核兵器のない世界の実現に今こそ力を尽くすべきです。

 


2024年7月10日水曜日

共同を広げる

 

紙 智子 参議院議員

「国会かけある記」


国会を終えて、いわぶち友参院議員、はたやま和也元衆院議員、宮内しおり衆院比例予定候補(2区重複)と札幌市内の団体を訪問し、国会報告しながら要望をお聞きし意見交換しました。

 訪れたのは、中小企業家同友会、JA北海道中央会、北商連、自由法曹団、高教組、原発連、民医連、道労連、パレスチナ医療奉仕団、新婦人、被爆者協会、道生連、農民連などです。円安で諸物価があがり、暮らしや経営への影響は深刻です。人手不足の深刻さも出されました。

 裏金疑惑を反省せず、軍事優先、経済無策な自民党政治への怒りが語られました。自衛隊の子ども食堂への勧誘問題では、新婦人は「自衛隊が戦車の展示などで市民の生活圏に入り込んでいる」と。自由法曹団からは、自民党政権は完全な戦時体制づくりを進め、憲法破壊が、経済分野でも地方自治の分野でも、社会保障分野からも進んでいると語られました。

 被団協では解散後も、市民とともにつくり上げた「ノーモア・ヒバクシャ会館」を維持していく決意が語られました。

 パレスチナ医療奉仕団との懇談では、平和的生存権を定めた日本国憲法前文が重要であり戦争していない国、平和ブランドがある日本から世論を広げることが大切だと語られました。

 民青同盟の皆さんと大通公園での宣伝とシール投票にも取り組みました。「イスラエルのガザ攻撃に黙ってはいられない」とスタンディングに参加している学生がシール投票に応じてくれました。戦争しない国づくり、軍事より暮らし優先の国づくりの共同の条件が広がっていると実感しました。


2024年7月6日土曜日

若い世代と一緒に私も

 

畠山 和也 元衆議院議員

「国民の願いを胸に」


紙智子・岩渕友両参議議員の国会報告に同席し、あわせて札幌大通公園で街頭宣伝とシール投票もおこないました。比例重複の宮内しおり道2区候補も参加しました。

宜伝開始してすぐに立ち止まった大学生は、イスラエルのガザ攻撃を目にし「子どもまで殺されるなんて」と、さまざまな市民運動に参加したといいます。若い世代と話がしたいと、なんとシールを貼るアンケートボードを持って、一緒に公園をまわってくれたのです。驚きました。

ベンチに座っている方に声をかけると「高い学費を親に払ってもらい心苦しい」(大学生)、「奨学金の返済が200万円」(社会人)のほか、「政治家は(未来への)明るい話をしてほしい」との一言も。漠然とした不安が広がる今だけに、しっかりした展望を多くの若い世代が求めていると痛感しました。

路上でギターを弾いていた方は、「市職員を罵倒する議員もいる中、こうして話を聞いてくれるのはありがたい」。有機農業をしたくて北海道に来たそうです。若い世代の希望がかなえられる政治にしなければ。

一緒に取り組んでくれた民青同盟の積極的な姿にも励まされました。「自民党政治の満足度はみんな50%以下に貼ってますね」の一言にハッとしました。もやもやしている胸の内を語り合う、安心できる相手を求めているのではないか。次々と同盟員が増えている背景も納得です。若い世代と一緒に私も頑張りたい。


2024年7月3日水曜日

自民党政治を終わらせるとき

 



岩渕 友 参議院議員

「国会かけある記」


通常国会の閉会後、街頭から「国会報告」を行ったり、福島県の新聞社へ訪問をしました。

 そのなかでビックリすることがありました。「岩渕さんですか」と声をかけられ、振り向くと高校生。「演説を聴いたことがあります。政治に関心があります。頑張ってください」と激励をいただきました。

 新聞社では私の姿を見た職員の方が突然部屋から出てきて、「岩渕さん、電気代を下げてください」と訴えられました。いてもたってもいられないという思いで声をかけてくれたのだと思います。それだけくらしと経営が大変になっているということです。

 通常国会は自民党の裏金事件の真相を明らかにし、同じことを繰り返さないための抜本的な改革を行うことが最大の課題であり求められていました。ところが実際には改悪が進められました。世論調査では8割の方が自民党案を「評価していない」と答えており、これで幕引きを許すわけにはいきません。なかでも企業・団体献金の禁止は、共産党だけではなく他の野党も主張するようになり、国民的な世論となったことは大きな変化です。

 同時に与党も認めざるを得ないような問題点が山積し、反対の声があがる法案も数の力で強行されてきたことは許せません。自民党政治をいよいよ終わらせるときです。

 7月3日からは紙智子さん、はたやま和也さん、宮内しおりさんと道内の団体を訪問し懇談します。多くの方と手をつないで政治を変えていきたい。