2016年8月29日月曜日

台風被害 要望政府へ


畠山和也 衆院議員
 「国民の願いを胸に」

 相次ぐ台風・大雨被害で、道内各地をまわればまわるほど
被害の大きさに驚くばかりです。
 台風7号が直撃した十勝管内では、本別町・足寄町などに
足を運びました。大豆畑が土砂と流木に押し流されて、まっ
たく見通しが立ちません。農家と高橋正夫本別町長から
「残った作物を守るためにも、急いでシカ防護柵を作り直し
たい」と要望を受けて農水省に掛け合い、既存交付金の残金
を充てることが可能と確認しました。
 日高管内では、土砂崩落によりJR日高線と並行する国道に、相次いで土砂が流れ込みました。これまでも不通区間となっている日高線ですが、住民や自治体から「だから急いで補修をするべきだったのに」「国も責任を負うべきだ」など、被害の拡大に批判の声が上がっています。土砂が流れ込んだ水産加工場では、「大型冷蔵庫四つのうち三つがダメになった。従業員10人が泥出しをしたが、今後どうするか考える暇もない。できる限りの支援を」と要望を受けました。
 原稿を書いている時点ですが、上川管内に紙智子参議院議員が入っており、北見管内には党道議団と私も合流して把握を急ぎます。すぐに、党道議団と政府交渉にも取り組みます。引き続き大雨の予報で、これ以上の被害が広がらないことを祈るばかり。現場の実態と要望を、しっかり政府へ反映させていきます。   
(しんぶん赤旗 2016.8.28掲載)

2016年8月22日月曜日

「友人の議席」とも力合わせて


岩渕 友 参院議員
 「国会かけある記」

 8月1日から臨時国会が始まりました。私は経済産業委員
会と復興原子力特別委員会の所属になりました。特別委員
会は紙智子参院議員と一緒です。
 本会議や委員会に初めて出席をしたのですが、本会議場の
隣の席は山形県選挙区から野党統一で当選した舟山康江
議員。舟山さんはかつて参議院にいたことがあり、いろいろ
なことを教えてもらっています。野党統一候補の議席は
「友人の議席」と志位委員長が述べていますが、大いに力をあわせていきたいと思います。
 参議院選挙直後に行われた東京都知事選挙。私も応援に行き
ましたが、参議院選挙では野党共通政策に入らなかった原発問題について、鳥越俊太郎さんが東京から250キロ圏内の原発の廃炉を電力会社に求めると公約したことは画期的なことだったと思います。野党共闘がどんどん発展しています。
 3日には、衆参あわせた国会議員全員での写真撮影がありました。カメラマンが離れ
ないと全体が入りません。みなさんの力でこれだけの議員団にしていただきました。
 党創立94周年記念講演会にあわせて候補者懇親会が行われました。森つねとさん、
北海道衆院5区補欠選挙で大奮闘した橋本美香さんと参加しました。候補者のみなさん
が感じてきた変化や努力に触れて胸が熱くなりました。みなさんの分も頑張るのは
もちろんですが、一緒にがんばりたいと思います。そして次の国政選挙ではさらに
たくさんの国会議員を迎えられるように私もがんばります。

この夏二つのこと


紙 智子 参院議員
 「国民の願いを胸に」

 この夏、深く心に残った二つのことを紹介します。
 ひとつは長崎の平和式典で田上富久市長が読み上げた「平和
宣言」。被爆者の皆さんの切実な願いを込め、今やるべき内容を
示す宣言でした。世界の人々が広島・長崎に来て、何がおきたの
か知ってほしいと。
 同時に核抑止に依存する国と、核兵器禁止交渉開始を主張する
国との対立を克服するためにも、被爆国日本が自ら非核三原則の
法制化と抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア
非核兵器地帯」の創設を求めたことです。
 今ひとつは、映画「トランポ~ハリウッドに最も嫌われた男」です。
米ソ冷戦が激化する1947年から本格化したアメリカ・ハリウッドの
赤狩り。最初の公聴会で「君は共産主義者か、それともかつてそうだったか」と問い
ただされ、証言を拒否し告訴された最初の10人の映画人の先頭にいた脚本家です。
 地位も収入も仕事も奪われ、投獄されるも、家族に支えられながら、偽名で「ローマ
の休日」や「黒い牡牛」をはじめ多くの名作を世に送り出しました。政治的圧力をはね
のけて脚本を依頼する俳優や映画監督が続き、たたかい続けたトランポにアカデミー
賞が授与されるラストシーン、万感の思いがこめられたスピーチは圧巻です。圧力を
はねのけたたかう姿と、今も続く社会変革のたたかいの大切さに胸熱くなりました。
                 (しんぶん赤旗 2016.8.21掲載)

2016年8月10日水曜日

変わらぬ矢臼別の風景と憲法9条


畠山和也 衆院議員
 「国会かけある記」

 「 さっちゃん 」こと渡邊佐知子さんが、矢臼別に住み始め
たのが2004年。川瀬氾二さんが亡くなられた後は、二頭
の牛と犬と亀と暮らしながら矢臼別平和委員会の活動も
されてきました。ご本人の意思でまわりに病状が知らされ
ぬまま、6月25日に逝去。53歳でした。
 優しい笑顔を通して、揺るがぬ芯の強さが見える佐知子
さんでした。先週6日に開かれた第52回矢臼別平和盆踊り。
掲げられた遺影に「 これからも矢臼別が変わらないように
がんばりますから」と最後のあいさつをしてきました。
 私が矢臼別平和盆踊りへ初めて参加したのは1998年、
合唱団の一員としてでした。当事は川瀬さんもお元気でした。
川瀬さん・佐知子さんと矢臼別に住む方は変わりましたが、参加者みんなの平和への
思いと憲法9条は変わらない。佐知子さんを悼みつつ、いつもと変わらず盛り上がる
盆踊りに参加しながら、そう強く感じました。
 昼に道労連の総会を終えて、急いで車で駆けつけた青年たちがいました。ある青年が
喜びながら「 学校で教えてもらった先生と、さっき会えたんですよ 」と教えてくれました。
こうやって平和のバトンが引き継がれているんですね。きっと川瀬さんも佐知子さん
も、喜んでくれていることでしょう。
 戦争法の発動と改憲へ突き進む安倍政権に、正面対決の秋が迫ってきています。
変わらぬ矢臼別の風景と、平和に生きる権利を守るために力を尽くします。

2016年8月9日火曜日

いよいよ国会!


岩渕友 参院議員
 「国民の願いを胸に」

 8月1日、いよいよ国会へ初登院。所属委員会は
経済産業、特別委員会は復興原子力となりました。
日本共産党の前進によって複数委員が配置できる
委員会が増えるなど、国会活動の大きな力を得ました。
 東北の選挙区で当選した市民と野党の統一候補5人
のみなさんともそれぞれにエール交換。2日付の
「しんぶん赤旗」1面には、青森県の田名部匤代議員
との握手写真が掲載されました。山形県の舟山康江議員とは本会議場の席が
隣でいろいろ教えてもらっています。岩手県の木戸口英司議員はわざわざ
部屋を訪ねてくれました。復興原子力特別委員会の委員長は宮城県の桜井充
議員です。福島県の増子輝彦議員とは同じ福島県出身の国会議員同士という
ことでいろいろな場面で一緒になる機会が増えました。
 志位委員長は議員団総会で、野党統一候補の議席は「友人の議席」と言い
ましたが、力を合わせて国会活動ができるということは心強いことです。
市民と野党の共同は都知事選挙でさらに発展しました。この共同を大きく広
げて命とくらしを守るたたかいへ、私も力を尽くします。
 みなさんからいただいた議席を生かすとき。みなさんの声をよく聞き、
現場にも足を運んで、一つ一つの願いをしっかり国会に届けることができる
ようにがんばりたいと決意を新たにしています。
                 (しんぶん赤旗 2016.8.7掲載)

共闘の力の新たな幕開け


紙智子 参院議員
 「国会かけある記」
 
 参議院選挙での当選者を迎えて、新しい国会が始まりま
した。日本共産党は、市田忠義、大門実紀史、田村智子
参議院議員に、新たに岩渕友さん、武田良介さん、山添
拓さんの三人が加わりました。初登院を衆参の国会議員
でむかえました。再会を喜ぶ顔、新たな意欲と決意に満ち
あふれた顔。初登院ならではの風景です。
共産党の控室前を、激戦を勝ち抜いた野党統一候補が
通ると、誰ともなく拍手がわき起こり歓喜の輪に包まれま
した。野党と市民の共闘の力の新たな幕開けです。
 日本共産党参議院議員団は、非改選の議員を含め
11名から14名に増えたことで、発言力が増します。三年前は
8人当選し、6人から11人に増えたことで、すべての常任委員会に委員を
配置できるようになりましたが、それに加え、財政金融委員会、経済産業委員会、
環境委員会には、二人ずつ委員を配置できるようになりました。
 また、予算委員会や憲法審査会にも今までの二人から三人の委員を配置できる
ようになりました。控え室の大きさも、さらに大きくなります。参議院議員団は新たな
三人の個性や、多彩な活動を加え、より豊かで力強いものになるのではないかと、
期待が高まっています。
 安倍政権は、いよいよ憲法審査会を動かそうとしています。TPP特別委員会も、
継続となっていましたが、再開されることが予想されます。恐れることなく、国民・
市民運動との共同を発展させ、立ち向かっていく決意です。

2016年8月2日火曜日

思いを受け止め前へ


森つねと 道国政相談室長
 「かけある記」
 
 参院選から半月以上経ちましたが、余韻が冷めま
せん。投票日翌日から各地の報告会などに足を運び、
支持者のみなさんの思いに触れてきました。
 「申し訳ない」と目に涙をためながら手を握られた
女性も。隣にいた女性が「この人はね。本当に一生
懸命に電話で支持を広げたのよ」と話してくれました。
この悔しさを忘れることはありません。
 2012年の総選挙以来、4度目の立候補でしたが、
今回ほど支援の輪が広がった選挙はありませんでした。
 道東では無所属市議が候補カーの上に乗り「憲法
9条を守る日本共産党の森つねとさんに清き1票を」。
父親は元自民党市議の重鎮で、自身も保守の方です。
 札幌では衆院道5区補選をたたかった「市民の風」の共同代表の方が応援演説。
感動しながら別の演説場所に行くと、同じく「市民の風」ののぼり旗をもった方が
追っかけで演説を聞きに来てくれました。私が通い続ける道庁前反原発抗議行動
の参加者でした。
 複雑な情勢のもとたたかわれた北海道選挙区は議席に届きませんでしたが、
「憲法を守りたい」「安心して暮らしたい」「政治を変えたい」と寄せられた1票1票
に思いを馳せ、みなさんとともに力強く歩みを進める決意です。
 18日間の選挙戦を終え家に帰ると、息子はすっかり寝返りが上手になってい
ました。子どもたちの笑顔を守るたたかいはこれからです。