2014年9月29日月曜日

国民の願いを胸に


 「考え方は違わない」
      参院議員 紙智子

 「農政ジャ-ナリストの会」から講師依頼があり、初めて参加しました。
この会は、農業関係の報道、出版に携わるジャーナリストや
研究者、評論家ら、個人の資格で加入している人たちと
賛助団体で構成されています。
 3カ月ごとにテーマを選び研究会、討論会を開いています。
1回目は、元農業新聞で「会」の顧問、2回目は自民党、
3回目が、日本共産党の私で「農政運動と日本共産党の政策」
というテーマで講演しました。
 依頼があった時、「なぜわれわれに?」と聞くと、「現場を回ると、
『農業では、共産党が一番まともに考えて要望している』との返ってくる。
ところが、なかなか選挙の投票行動に結びつかないのはなぜだろう。そんな疑問も
含めて話を聞かせていただければ」と言われました。
 私が2001年当選した直後にBSE(牛海綿状脳症)が発生し、それ以降も
食の安全を脅かす事件が次々起こりました。
そこから見えてきた政治の問題点と、食料・農業のあり方、歴代自民党政権が
つくり出した農業危機の原因、日本共産党の農業ビジョン、広がる共同、運動など
について話しました。
 意見交換ではJA改革や、党の価格保障・所得補償について、自給率目標を持つ
意味、貧困対策など、切れ間なく質問がだされ、たっぷり3時間。
最後に「考え方は、ほとんど違わないですね」といわれました。
農業だけでなく、経済・外交政策でも、将来の展望も「ほとんど違わないですね」
を広げて、わが党への期待に応えたい。
                 (しんぶん赤旗 2014.9.26掲載)

道民とともに臨時国会へ



      紙智子参院議員 「国会かけある記」


 北海道各地を回り安倍政権への怒り、切実な願いを聞き、
闘う力をいただきました。
 50周年、半世紀をむかえた矢臼別平和盆おどりは、
1000人が参加し、安倍政権の戦争する国づくりに
反撃しました。
  建設労働者と取り組んだ音威子府(おといねっぷ)の音中
トンネル調査ではじん肺の根絶を大企業任せにしている国の
実態が。
 土壌から水銀などの有害物質が検出され、住民から不安が出て
いる室蘭市でも、大企業の横暴ぶりに怒りを感じます。
 大間原発(青森県大間町)建設差し止め提訴した函館市長との懇談には、青森出身の
高橋千鶴子衆院議員と訪問し、支援を約束し、激励しました。
 北方四島へのビザなし交流には日本から多くの青年学生が参加し、関心の高さを感じ
ました。
 酪農調査で訪れた別海町、厚岸町では、農協や酪農家から、TPP、農協改革に対
する不安が出され、持続可能な酪農経営と地域社会を維持する対策を求める要望が
出されました。
 この夏、米価が暴落し大問題に。稲刈りの真っ最中なのに、あえてトラクターを降り
て上京した、農民連の農水省交渉に同席。「この米価では、米作っても、飯を食え
ない」という叫びが霞ヶ関に響き渡ります。
 いよいよ臨時国会が。この夏、寄せられた怒り、願いを心にきざみ、安倍暴走政権と
対決する決意がみなぎります。そして、何と言っても、参議院選挙の躍進の流れを止め
ず、来年のいっせい地方選挙勝利に結実させたいと思います。

2014年9月18日木曜日

国民の願いを胸に



 「霞が関の”仲間”」
    参院議員 大門実紀史


  東日本大震災の発生以来、被災事業者の支援に一緒に
取り組んできた金融庁のM課長が先日、他の部局に異動し
ました。Mさんは金融機関に被災者の債務軽減を要請。
陸前高田市の被災者の私的整理では、理不尽な対応をす
る金融機関を厳しく指導し、債務免除を促してくれました。
  Mさん以外にも、被災事業者の支援に奮闘した霞が関の
官僚が何人かいました。
 中小企業庁のFさんは、私と一緒に何泊もしながら沿岸部の商工会議所をまわり、
要望を聞き取りました。 夜は2人で支援策について意見交換。
それが、「グループ補助金」の拡充につながりました。
 復興庁のYさんとは原発事故のため事業再開が遅れている福島県の事業者支援につい
て何度も議論。
「立地補助金」という形で具体化してくれました。 批判しているだけでは復興は
進まない。
特に事業者支援は新たな枠組みが求められ、具体的な提案で一歩でも前進させる必要
がありました。
  普通なら共産党とは距離を置きたがる官僚たちですが、知恵も意欲もない与党議員の
姿にあきれ、私たちの提案に耳を傾けてくれたのだと思います。
  Fさん、Yさんはすでに1年前に他の部署に異動。今回のMさんの異動で、震災
直後から一緒に仕事をしてきた霞が関の「仲間」はいなくなりました。
  復興はまだまだこれからで、国の施策も不十分です。
   ただ、公務員バッシングばかり続く中、被災者のために一生懸命頑張ってくれた
彼らがいたことは忘れないでおこうと思っています。
                                                      (しんぶん赤旗 2014.9.17 掲載)



2014年9月16日火曜日

国民の声を無視し続けることはできない



森つねと日本共産党北海道委員会国政相談室長
   「かけある記」


  先月末、日本共産党の道議団、札幌市議団のみなさ
んと東京で政府交渉を行いました。
来春のいっせい地方選挙の予定候補も参加しました。
二日間に渡る交渉で、道民生活にかかわる国の来年度
予算と重点課題について各省庁に要請。現場の実態を
見ていただけに熱が入ります。
泊原発再稼働中止の要請に、経産省の担当者は
「国として理解を求める」と後向きの姿勢を示す一方
、「北海道への核のゴミの持ち込みは認められない。
道の『核抜き条例』を尊重すべき」だと求めると、「地元の意見を聞き、
反対なら進めない」と回答しました。
 厳しい冬を前に異常な高騰が続く灯油価格。昨年同時期と比べ、すでに1㍑あ
たり10円近く値上りしている事実を示し、「福祉灯油への早目の特別交付税措
置を」と求めました。総務省側は「必要な措置を検討する」と述べました。
 精神障害者の方々が粘り強く求めている運賃割引について国交省の担当者は
「交通費の実費負担ができないか、厚労省と連携して進めたい」と答えました。
 間もなく臨時国会が始まります。国民の声を聞かない安倍政権は強大なように
見えますが、国民の暮らしや経済とかけ離れた「砂上の楼閣」です。
だからこそ、党の論戦と国民運動で相手の言い分を崩すことは可能です。
 今回の政府交渉も踏まえ、それぞれの分野での「一点共闘」を発展させながら、
安倍政権を退陣に追い込む大きな流れをつくっていきたい。

2014年9月12日金曜日

したいようにしました



 大門実紀史参院議員 「国会かけある記」

 8月19日付の「しんぶん赤旗」東日本版に『したい
ようにしなさい』というエッセイを書きました。
中学三年生の夏休みに北海道をヒッチハイクで一周した
ときの話です。
帰りの青森港で家出と間違われて警察に補導され、お巡り
さんが母の勤め先に電話すると、母は「本人のしたい
ようにさせて下さい」といいました。
 この話をフェイスブックでも紹介したら、北海道の
方から「どういうコースを回ったの?」
「警察に補導された後はどうしたの?」などのご質問が来ました。
 一周したコースは函館⇒札幌⇒旭川⇒稚内⇒網走⇒知床⇒根室⇒釧路
⇒帯広⇒室蘭⇒函館です。
駅舎や地下道などで寝ましたが、車に乗せてくれた方の家に泊めてもらったことも
あります。
根室の食堂のおばちゃんは三日も泊めてくれたうえに、息子さんの古着を着替え用
にとくれました。北海道の人は温かいなと思いました。
 青森のお巡りさんは、「したいようにさせる」わけにもいかず、京都までの切符を
買って青森駅から私を汽車に乗せ、「お母さんに心配かけるなよ」といいました。
ところが、私は八戸で降りて、またヒッチハイクを続け京都まで帰りました。
 母はすぐ青森の警察署に汽車賃と御礼状を送りました。その汽車賃がものすごく
高いのを知って、母にとんでもない迷惑をかけたと大泣きしました。
私がしたいように出来たのは、たくさんの方々の親切と母の愛情があったからだと
後で気づきました。

2014年9月3日水曜日

仲間よ、闘うことを忘れるな



 はたやま和也 日本共産党北海道委員会書記長
    「かけある記」


  お盆明けに、レッド・パージ被害への救済勧告が札幌
弁護士会から出されました。
国鉄で働いていた苗川清一郎さんの申し立てを受けたも
ので、3月の舛甚秀男さん・加藤哲夫さんに続き3人目
となりました。
「アカ」の名で職場を追い出され、64年にわたる
名誉回復のたたかいです。
政府は正面から受け止めてほしい。
 「レッド・パージ被害者の名誉回復と補償を求める北海道懇話会」
の総会に参加し、苫小牧・王子製紙労働組合でのレッド・パージ反対の歴史について
講演も聞きました
犠牲となった仲間を職場に戻せと組合が一致して要求し、社宅の仕事ですが従業員並の
待遇を約束させます。この結果に危機感を抱いた経済界が介入を強め、組合は
145日にわたる無期限ストに突入しました。
 いわゆる「王子争議」です。資料を整理された冊子をいただきました。
 争議責任を理由に解雇された労組委員長が、レッド・パージ復職闘争をふりかえって
書いています。
「闘いの動機はイデオロギー的な色彩より、旧職場の仲間の窮状を見かねた“素朴な
現状かもしれません。でも、身近な仲間を助けられず、政治を変えることができるのか
「アカ」と言われても立ち上がった歴史から、私も誠実に学びたいと思っています。

2014年9月1日月曜日

国民の願いを胸に



  「木造の仮設住宅で・・・」
     参院議員 紙智子


  以前から一度、直接見たいと思っていた岩手県住田町の
 木造の 仮設住宅を訪ねることができました。
 木の町として町の産業を振興することに力を注いできました。
 あの2011年3月11日の東日本大震災の時、住民の
 安否確認をしながらニュースで、となりの陸前高田市や
 大船渡市で大変な津波被害を受けたことを知り、対策本部で
 給水からはじめたそうです。
そして、町長は仮設住宅に議会と相談して、木を使うことを決断したのです。
 今回、参議院の復興特別委員会の視察で、その仮設住宅に行きました。
すーっと木のおだやかな香りがたたよいます。
居間があり、ペレットストーブがあり、台所とトイレ、お風呂もついています。
すべて木。ホッとします。
 仮設住宅に住むみなさんに「3年数カ月すぎましたが、どうですか」と聞くと、
「ここに入れてよかったよ。屋根にソーラーパネルがついていて、70度ぐらいの
お湯が出るからお風呂にも入れるしね・・・。
でも何よりここの町の人が、温かく迎えてくれたのが一番ありがたかったよ」と。
「やっぱり、元の所へ戻りたいですよね」と聞くと、「元のように家族が
いっしょに生活できれば一番いいよ」と言われました。
 失ったものへの心の傷が残りますが、被害者に寄り添った支援が必要だという
ことを痛感しました。
今年は豪雨災害など、災害が後を絶ちませんが、今後にいかすべき教訓です。
                                                       (しんぶん赤旗 2014.8.30掲載)