2024年3月16日土曜日

今こそ政治にぬくもりを

 

畠山 和也 元衆議院議員

「国民の願いを胸に」


 

今年の「311」も、道原発運らのみなさんとJR札幌駅前で黙とうしました。宮城県石巻市出身の私にとって、両親はじめ親族は無事なのか、町はどうなってしまうのかと絶望感に襲われた、あの日を忘れることはありません。
 復興支援活動を続けてき道内団体「子どもを守ろうよの会」の公演に足を運びました。福島と北海道を舞台に1年を経た子どもの成長とともに震災や原発事故をどう受け止め、どう生きていくか問う内容です。
 冒頭の緊急地震速報や避難を呼びかける有線放送は、演出といえ緊張感が思い出され、被災地で起きていた現実に胸が締めつけられます。避難するときの不安や葛藤も、胸に突き刺さってきました。そんな重いテーマも、多くの子どもたちが参加した太鼓演奏や、若い主人公たちが交流を重ねるなかで前を向いていくことなど、希望が伝わり救われた気持ちになりました。
 公演は最後に、原発事故で起きた分断を乗り越えようとする場面で終わります。だからこそ、今なお続く原発事故の異質さと、人生をふみにじられた怒りがひしひしと伝わってもきたのでした。事故などなかったかのように原発回帰へ進む岸田政権を本当に早く終わらせたい。カネの力で「核のゴミ」を押しつけるやり方も許されません。
 11日朝の街頭宣伝では、能登地方への救援募金に協力する青年の姿がありましたぬくもりある政治をとの息吹は、間違いなく広がっています。


2024年3月6日水曜日

岸田政権を追いつめよう

 

紙 智子 参議院議員

「国会かけある記」


確定申告で真面目に税金を納める国民をよそ目に、裏金を懐に入れる自民党議員。誰が、いつから、何の目的で裏金をつくったのかと聞いても「知らぬ存ぜぬ」で済まそうとする。「こんなこと許せない!」と国民の怒りが湧き上がり、やっと自民党も「政治倫理審査会」の開催を受け入れました。

 ところが日程が決まったら、今度は「テレビはいやだ。出ない」と逃げる。このままでは年度内に予算が成立しないと焦った岸田総理が自ら「政治倫理審査会」に出ると勇んだそぶりをみせたものの、何を聞かれても、自民党の聞き取り調査をなぞるだけ。疑惑は深まるばかりです。 

 安倍派事務総長だった西村前経済産業相と松野前官房長官、塩谷元総務会長、高木前国対委員長が出席しましたが、口裏を合わせたように「一切関与はない」と全容解明に背を向けました。普通行わない土曜日に国会を開いて、予算案の採決を数の力で強行。岸田政権の危険な姿をあらわにしました。

 週明けから予算委員会の舞台は参議院に移りました。裏金疑惑はもちろん、国民の暮らしを切り捨てる一方、震災復興予算まで削って大軍拡にまわす予算案など許すことはできないという国民の世論と運動を広げて、岸田政権を追い詰めましょう。

 能登半島地震から2ヶ月が過ぎても、未だ生業の被災状況など全容が把握されていない現状があります。被災者の目線から何に力を入れる必要があるのか、直接把握して参議院での論戦に生かしたい。


2024年2月27日火曜日

熱い思い 43万人分

  


 紙 智子 参議院議員

「国民の願いを胸に」


 

「被災地支援を! 裏金徹底解明! 何よりいのち、大軍拡・大増税ノー!」を掲げ、新日本婦人の会のみなさんが秋の行動で集めた署名提出集会が14日に行われました。「税の集め方・使い方の抜本的見直しを求める請願」「暮らしと社会保障の拡充を求める請願」「子育て・教育予算の大幅な拡充を求める請願」と、総数で4万人分。熱い思いが一筆一筆に込められた署名が、ドーンと届けられました。
 当日は議員室を要請にまわり、私の部屋にも北海道と宮城県、鹿児島県、山口県などのみなさんが来てくださいました。
 北海道の代表は「命とくらしを守る政治を!」「ミサイルよりミルクを!」とかわいいカット入りのプラカードを持参。 昨年も取り組んだ学校給食無償化や学校のエアコン設置とあわせて、個人情報である名簿を自衛隊へ提出する問題や共同訓練の危険性が語られました。山口県の方は農家で、「安全安心な食べものを生み出すために有機・地場産で努力している生産者が安心して続けられるように応援してほしい」との訴え。鹿児島県の方は「軍事にお金をかけるより、子どもたちに使ってほしい」など、国会に来られなかった人の分も含めて、迫力満点に訴えておられました。
 請願行動は初めてという20代の会員さんを含め、次世代の新婦人のみなさんの力強い訴えが国会に春を届けてくれました。学び行動するパワフルで生き生きした姿は美しく力強いもので大いに触発されました。


2024年2月26日月曜日

被災地復旧、くらし最優先で

 



岩渕 友 参議院議員

「国会かけある記」


経済産業委員会の視察で、大阪・関西万博の会場に行ってきました。350億円と言われる「大屋根リング」にのぼると、工事がほとんど進んでいないことが分かります。リングは6割程度完成しているとのことでしたが新たな問題が。リングが先に完成すると、リングの内側に重機や資材を搬入するのが大変になるというのです。万博をめぐっては、カジノとの関係、1649億円にものぼる国費負担など、問題が次々明らかになってきました。能登半島地震の復旧・復興との関係では経済界からも懸念が示されています。被災地の復旧を遅らせることになるのではないかと質問をすると、「被災地が最優先」という回答が返ってきました。最優先というのであれば中止するべきです。

群馬県桐生市の演説会で話をする機会がありました。桐生市では生活保護をめぐって、生活扶助費を全額支給せず、毎日1000円を渡していたことが大問題になっています。本人に許可なく受領印を押す、従わないと保護を取り消すと脅すなど、違法性も指摘されるような窓口対応が常態化していたといいます。徹底した真相究明が必要です。

22日には、国が行った生活保護基準引き下げの取り消しを求めて全国で行われているいのちのとりで裁判のうち、津地裁で減額は違法とする判決が出されました。憲法25条が保障する健康で文化的な最低限度の生活、誰もが人間らしく生きることのできる社会の実現へ。みなさんと力を合わせます。


2024年2月21日水曜日

「裏金政治」に怒りの声を

 

畠山 和也 元衆議院議員

「かけある記」


これまでも金にまみれた事件のたび、自民党は反省を口にしてきました。しかし、「金と利権」の政治は温存されて財界・大企業は潤う一方、くらしや地域は痛めつけられてきました。裏金事件への怒りは、このような自民党政治への怒りと表裏を成すものです。

 終わりが見えない物価高騰に、厳しい生活を強いられている高齢者や困窮世帯。進学・進路のこの時期、数万・数十万円の出費を迫られている子育て世帯。確定申告が始まり、重税とインボイスに苦しめられている中小零細業者やフリーランス。いま私たちが怒らずして、いつ怒るというのでしょう。

 先月、ある町で日本共産党へ入党した方は、かつて自民党議員を応援していたそうです。別の町の集いでは、「共産党は、自民党のように金で辞めた国会議員はいなかったんですか」と聞く方がいて、おりませんと答えると「安心しました」。全有権者規模で、党の姿や値打ちを知らせなければと痛感しました。

 国政への要望もたくさん寄せられ、反映させたいと思いつつ、衆議院予算委員会での質問時間が15分や20分では圧倒的に足りません。質問者を交代しながら1時間も追及する他の党に比べたら、あまりに悔しすぎます。今度こそ、必ず議席を奪還したい。

 先日の道党会議で、千葉隆委員長・金倉昌俊書記長など新しい道委員会の体制となりました。退任した青山慶二前委員長は、私を専従へと導いてくれた恩師でした。思いを継ぎ、新たな気持ちでがんばります。


2024年2月17日土曜日

化石燃料使い続けるのか

 


 岩渕 友 参議院議員

「国民の願いを胸に」

今国会で審議する法案の一つに、CCSに関する法案があります。CCSとは、二酸化炭素を分離、回収し、貯留する技術です。海域での実証事業が行われている北海道苫小牧市で、はたやま和也元衆院議員、立野広志9区候補、苫小牧市議団にも協力をいただいて調査してきました。
 政府はCCS事業で、二酸化炭素の排出が避けられない分野での排出を押さえるとし、そこに火力発電所も含めています。けれどもCCSを進めるということは化石燃料を使い続けるのが前提になります。 世界の国は石炭火力発電所の全廃期限を決めて取り組んでいて、G7で期限を決めていないのは日本だけです。
 コストが高く国民の負担が増えるのではないか、深刻な気候危機のもとで対策は急務であるにもかかわらず、いまだ実証事業の段階で対策が遅すぎるのではないかなど、さまざまな問題点が指摘されています。
 漁協でも話をうかがいました。二酸化炭素が漏れ出ないかなど、モニタリングの重要性とその時期などについて意見をお聞きしました。関係者との話し合いも重要です。 胆振東部地震や能登半島地震をみても、今後、地震などの影響がないのか懸念もあります。うかがった話を法案審議にいかしていきたいと思います。
 気候危機対策は待ったなしです。原発ゼロの決断、省エネの推進と、地域や住民と共生する再生可能エネルギーへの転換を求め、国会でも大いに論戦していきたいと思います。


2024年2月14日水曜日

アイヌ民族の権利回復を

 

紙 智子 参議院議員

「国会かけある記」


北海道浦幌町のラポロアイヌネイション(旧浦幌アイヌ協会)の会長としてアイヌの権利回復に粘り強く取り組んでこられた差間正樹さんが6日未明、病気のため亡くなられました。心からの哀悼をささげます。

 差間さんのお話を思い出しました。「アイヌとして生活していくとはどういうことなのかをずっと考えてきた」。そして「自分がアイヌであることを表に出して堂々と生活することで、相手との関係が変わっていくのを感じてきた」と語っておられました。苦悩を乗り越えて決断した力強さを感じました。

 日本共産党北海道委員会が主催した「アイヌ民族の権利を考える」シンポジウムやフォーラムでご一緒し、アイヌ先住民族の権利を回復させるために、盗掘された遺骨返還や、川でサケを獲る権利を求め粘り強く取り組み、前進を切り開いてきたお話に、深い敬意を抱いてきました。実際に103体の遺骨返還を実現させ故郷に埋葬。サケの捕獲は先住権であることを裁判を通じて提起し、たたかってこられました。

 昨年5月に浦幌町で国際シンポジウムを開催し、カナダや台湾、アメリカ、フィンランドなどの、先住民のたたかいが交流されたことも、たいへん有意義でした。生き生きとした差間さんの姿がありました。

 今年は、2019年に成立した「アイヌ施策推進法」の見直しが始まります。アイヌのみなさんと力をあわせ、権利回復に取り組みたいと思います。