2021年3月27日土曜日

遺志継ぎ核兵器廃絶へ

 

紙 智子 参議院議員

「国民の願いを胸に」


 第五福竜丸の元乗組員だった大石又七さんが、亡くなられました。享年87。1954年3月、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカの水爆実験で被ばくした第五福竜丸の乗組員でした。心から哀悼の意を表します。

 「訴え続けなければ、ビキニ事件はやがて消えてしまう、風化させない」と生前、命がけで自らの被ばく体験を語り、700回にわたる講演を行いました。

 2018年静岡市内で行われた3.1ビキニデー日本原水協全国集会には私も参加しました。その時には、大石さんは、車いすで参加され、40代、50代で他界した仲間の無念を語りながら「たくさんの犠牲の上に手に入れた平和憲法を変えることなど許されない」と訴えました。

 実は同じ海域で被ばくした漁船はその他にも1000隻あったことがわかりました。高知県の山下正寿氏らが真相を追求し、米国で開示された当時の報告書を突き止め、厚生労働省に資料を探すように求めました。かつて衆院議員の山原健二郎さんが追及したときには、「ない」とされた資料があったのです。資料の提出を求めたときに私も同行させていただき、大規模な被害を受けながら、政府はなかったことにしようとしていた事実にがく然とし、怒りがこみ上げました。

 核兵器禁止条約が発効した今年、大石さんの遺志を受け次いで、日本画唯一の被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ政府をつくるために頑張る決意を新たにしました。

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