2025年9月10日水曜日

みなさんと力合わせて暮らし守る

 



岩渕 友 参議院議員

「国会かけある記」


畠山和也さんと釧路湿原のメガソーラー建設をめぐる問題で環境省からレクをうけました。様々な団体や個人のみなさんが声をあげてきました。環境省が現地に行き、道が森林法違反を理由に事業者に工事の一部中止を勧告。オジロワシの生息も確認されています。私たちは再生可能エネルギーを推進する立場ですが、地域と共生する再エネを進めることが大切であり、ルールの強化が必要です。引き続き、地元のみなさんとも取り組んでいきたいと思います。

 石破首相が辞任を表明しました。参議院でも与党が過半数割れに追い込まれたのは、自民党政治を変えたいという国民のみなさんの切実な思いがあったから。辞任は当然です。けれども、総裁、総理が変わっても、国民の思いにこたえることにはなりません。しかも、自民党は選挙結果など関係ないと言わんばかりに総裁選には熱心に取り組んできました。裏金事件の反省もなく、物価高騰にもまともな対策もとらない自民党に対して、各地で「選挙後も暮らしの大変さは変わらないのに、消費税減税もやらないし、給付金もない。どうなっているのか」と怒りの声が出されています。

 自民党政治を変えるために日本共産党の出番のときです。第6回中央委員会総会で、新しい国民的・民主的共同を広げようという提起が行われました。消費税減税をはじめとした暮らしを守る願い、排外主義を許さないたたかいなど、より多くのみなさんと力を合わせたいと思います。


2025年9月3日水曜日

戦争と性暴力―「黒川の女たち」

 



宮内 しおり 党道平和運動部長

「国会かけある記」


先日、映画「黒川の女たち(監督:松原文枝)」を見に行きました。

 満州引き揚げの証言などは見聞きしたことはありますが、こうしたかたちの性暴力があったことは初めて知りました。

 満州黒川開拓団はソ連侵攻で追いつめられ、ソ連将校に守ってもらうことと引き換えに、開拓団の満18歳以上の未婚女性15人にソ連兵への性接待を強要しました。女性たちは日本に戻ったあとも差別や偏見にさらされ、70年以上もトラウマに苦しみ続けていました。

 この事実は長い間「恥」として隠されていましたが、被害者の女性たちが声を上げました。映画は被害者女性による証言とトラウマとスティグマ(負の烙印)からの回復の記録であり、戦争性暴力をなかったことにしない人たちのたたかいのドキュメンタリー映画です。

 戦争と性暴力は切り離せないものです。現在も、イスラエル軍やロシア軍の兵士によって住民や捕虜などへの性暴力・拷問が行われています。絶対に許されません。戦争状態は人間性を失わせ、あらゆる暴力で支配する構造をつくりあげます。

 過去と今は地続きです。今起きている戦争や虐殺を終わらせるために世論を広げ、たくさんの人たちと力を合わせます。そして、「歴史の事実を語り継ぐことは生きている者の使命」です。  

 戦争の被害と加害の両方の歴史を受け継いで、二度と戦争をしない国であるためにも、大軍拡を許さないたたかいに力を尽くします。


2025年8月27日水曜日

入党して30年

 



岩渕 友 参議院議員

「国会かけある記」


入党して7月で30年。永年党員証の授与式があり、党本部で受け取りました。50年党員の方も一緒で、なんと紙智子さん、元衆院議員の畑野きみえさんも参加されていました。

 入党した1995年は、大学受験真っただ中の1月、阪神・淡路大震災が発生。福島県からも多くの方がボランティアに向かいました。阪神・淡路大震災経験はその後の災害、そして東日本大震災にもいかされました。

 沖縄で起きた米兵による少女暴行事件に抗議する県民大会が行われました年でもあります。その後も米兵による暴行事件が止まないもとで怒りの声は広がり、オール沖縄につながっていきました。新たなたたかいが大きなうねりになる転換の時期だったのだと思います。

 入党後、学生として、地域の一員として、党の専従として、いろいろな場所で活動をしてきました。どこでもその場所で力を尽くす党員のみなさんの姿に触れてきました。「日本共産党の一員でよかった」と思う場面が何度もありました。

 強烈に実感したのが東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の救援活動でした。被災者救援本部が設置され、全国から「自分も何かしたい」と多くの方が駆けつけ、被災された方々の話をきいて、寄せられた要望を実現させるために力を尽くす。こんな党はほかにありません。

 激動の情勢のもと、くらし、人権、平和を守る正念場のとき。これからもみなさんと力を合わせて、一歩一歩進んでいきたいと思います。


2025年8月20日水曜日

平和な日本と世界の実現に力を合わせよう

 



宮内 しおり 党道平和運動部長

「国会かけある記」


参議院選挙でご支援いただいたみなさんに感謝申し上げます。全道どこでもあたたかい言葉をかけてもらい最後まで元気にたたかうことが出来ました。

 北海道選挙区は残念ながら議席には届かず、比例代表ではたやま和也さんを国会に送ることが出来ず、悔しく残念です。選挙の取り組みから教訓を引き出し、次のたたかいに向けて質量ともに大きな日本共産党をつくるために私も頑張ります。

 参議院でも自公の議席が過半数を割ったことは、自公政治を終わりにしたい、消費税減税など物価高の暮らしを良くしたいという民意の現われです。公約実現のために引き続き力を合わせます。

 戦後・被爆80年の今年は8月7日にオンラインで「被爆80年長崎のつどい」に参加しました。被団協の田中煕巳(てるみ)さんをはじめとした被爆者が被爆の実相、反核平和運動の歴史などをお話してくれました。谷口稜曄(すみてる)さん、渡辺千恵子さんなど亡くなられた被爆者のスピーチ映像を見られたことも貴重でした。

 9日には5年ぶりに矢臼別平和盆踊りに参加し、はたやまさんとご挨拶させていただきました。日米共同軍事演習や米海兵隊移転訓練が毎年行われる矢臼別で、日本と世界の平和・核兵器廃絶を願い開催される平和盆踊り、粘り強い基地監視活動に取り組むみなさんに連帯します。アメリカ言いなりの政治をおおもとから変えて軍拡ではなく外交努力する日本に、1日でも早く日本が核兵器禁止条約を批准するために力を合わせる決意です。

 


2025年8月6日水曜日

みなさんの支えで駆け抜けた24年間

 

紙 智子 参議院議員

「国会かけある記」


参議院議員の任期が7月28日で終わりました。「かけある記」を書くのも今回が最後です。読者、編集に携わったみなさんに感謝いたします。

私は、2001年の参議院選挙で初めて国会に送っていただきました。「いのち・食と農」を原点に4期24年間、農林水産委員会や沖縄・北方特別委員会、東日本大震災・福島第一原発事故後は、東日本大震災復興特別委員会などに所属して活動してきました。

24年間元気に駆け歩き、走り続けられたのは、みなさんの支えがあればこそと胸に刻んでいます。

「かけある記」は、その時々の国政や活動の中での発見と驚き、いのちの大切さ、怒りや喜び・希望など、心に響いたことをスケッチしてきました。最初の6年間は、無我夢中であっという間でした。

24年間、自民党の社会保障の改悪、戦争する国づくり、農業・農村つぶしの悪政と対決してきました。

全国の農山漁村を訪ね、“自民党にはもう任せられない”と未来像を描き、開拓精神を発揮して切り開く生産者らの姿に学ぶとともに、現場の要求を政府にぶつけて闘ってきました。

大震災・原発事故の被災地を訪ね、被災者支援、原発ゼロを政府に迫ってきました。

千島=領土問題と根室・隣接地域の振興、アイヌ民族の先住権回復などの課題に取り組んできました。

当面、日本共産党本部で農林漁業、国民運動委員会で仕事を続けます。

希望ある未来をつくるために、これからもみなさんとともに歩んでいきたい。


2025年7月30日水曜日

足を止めてはいられない

 

畠山 和也 元衆議院議員

「国会かけある記」


 

連日の猛暑のなか多くの方からご支援・応援をいただきながら、紙智子参議院議員の議席を引き継げず、申し訳ない思いでいます。党全体でも議席を減らし、しっかり底をついた総括をおこなって、次のたたかいに活かします。

 「これからも物価高が続くと考えたら恐ろしい」「本当に農家を助けてください」ーー生活苦や政治への不満、先が見えない不安と閉塞感を、選挙期間中、何度も聞きました。もう自民党には任せられないという雰囲気は、各地に広がっていました。

 不満や閉塞感の矛先が、外国人などへの差別として向けられた選挙でもありました。精神疾患を抱えているという方が私の演説に足を止め、「差別がない社会をお願いします」と絞るように話されたことも。期日前投票で他党へ投票したことを、悔やんでおられました。

 大軍拡を許さないことや核兵器禁止条約の批准など大事な争点が、マスコミで扱われることが少なかったと思います。米国からの要求もあり、今後は間違いなく国政の重要課題となるでしょう。足を止めてはいられません。

 自民・公明が過半数割れとなり、切実な願いを実現できる可能性が生まれています。差別や排外主義など、悪い方向へ進む可能性もあります。いっそう世論と運動を大きくすることに、私も地に足つけてがんばりたい。差別を許さず、閉塞感に応える活動を強めます。

まだまだ暑さが続きます。お体を大切にしながら、ともに声をあげましょう。

2025年6月28日土曜日

願いはばむ自民党を少数に

 


 岩渕 友 参議院議員

「国民の願いを胸に」

 

5回中央委員会総会で決意表明をした、はたやま和也さんの話に思わず涙がこぼれました。前日、仙台市での街頭演説で声をかけてくれた方がいたそうです。北海道江別市出身の方で、施設に入所していた親の遺品を軽理していたら一冊のノートが出てきて、「はたやまかずや」と何度も練岩渕友

習していたと。この人は誰だろうと調べてみたら、はたやまさんだと分かって会いに来てくれたというのです。何度も何度も名前を書き、はたやまさんにどんな思いを託していたのでしょうか。

私まで胸が熱くなりました。一人ひとりの思いを必ず議席につなげる選挙にしたいと強く思います。

都議選では残念ながら議席を減らす結果となりましたが、変化を感じる選挙でもありました。豊島区の米倉春奈さんの応援で商店街へ行くと、何人もの男性がビラを受け取ってくれ、声をかけてくれ、立ち止まって話を聞いてくれるのです。若い方もサラリーマンの方も、高齢の方もいました。

4年前に応援に行ったときに反応があったのは圧倒的に女性でした。この話をすると「私もそうだった」という返事が何人からも返ってきました。

幅広い方々に党を支持してもらえるという手ごたえを感じます。

国会は最終盤、衆議児で可決されたガソリンの

暫定税率廃止法案が、参議院では自公の反対で採決に至りませんでした。

国民の願い実現を何度も阻んできた自民党を参議院でも少数に追い込む選挙へ。全力で頑張ります。